① 行動経済学
1-1 伝統経済学の前提:エコノミカス
経済学は、人間の経済活動における意思決定と資源の配分に関する学問である。経済学の父とされるアダム・スミスの「国富論」(1776)は、経済学理論の土台とされる。同時代の偉人たちには、「経済学および課税の原理」のデイヴィッド・リカード(1772-1823)、 「人口論」や「経済学原理」のトマス・ロバート・マルサス(1766-1834) がいた。この時代の経済学は古典経済学と呼ばれる。
カール・マルクス(1818年 - 1883年)は、資本主義経済の構造と法則の解明を取り込んだ。「資本論」が出版された後、経済学は大きく近代経済学とマルクス経済学に分かれた。マルクス経済学は、資本は労働者に支払った以上の価値を労働者から搾取するという剰余価値説に基づいて資本主義経済を分析する。一方、近代経済学は、「限界効用」等を軸に、経済現象を数値化して分析する手法を発展させた。
20 世紀の前半は、経済行動における人間の心理的要因の影響が重視され、経済学と心 理学を結合させる動きがあった。1950年代以降、経済学において数学モデルで記述することが主流になり、数学モデルにおいて心理的要因を取り入れることは難しかった。そこで、心理的や感情的要因を省く設定、合理的経済人(ホモ・エコノミカス)がというものを取り入れた。
近代経済学はにおいて、「合理的経済人(homo economicus)」は基本的前提である。合理的経済人は、富の効率的獲得と消費の効用だけを考える人の行動モデルである。この設定は、数学モデルの単純化をもたらし、経済学の発展に大きく貢献した。なお、合理的経済人の概念は、「国富論」にもあり、19世紀にすでに単語として出現した。
合理的経済人は以下のように行動するとされる。
1)個人は常に自分の効用(満足度)を最大化しようとする。
2)すべての選択肢に関する完全な情報を持っており、それを正確に処理・判断できる。
3)意思決定には一貫性があり、時間や文脈に左右されない。
4)個人の選好は明確で、順位付けが可能である。
この中の1と2は特に重要である。人は自分の効用を最大化しようとして、そのために情報と能力は備えているということです。すなわち、人は自分がとるべき正解を分かっていて、それを実行する。人間の行動を確定的数学モデルとして表現できることになる。このような設定に基づく経済学は、需要と供給、価格決定、ゲーム理論、一般均衡理論などの枠組みを構築してきた。
一方、現実の人間行動は、こうした設定から乖離する側面も少なくない。たとえば、明らかに損するとわかる宝くじの購入、衝動買いの行動、重要な決定がなかなか決まらない傾向、消費において見栄をとても大事にする態度などは、合理的経済人の設定では説明が難しい。これらの乖離は、経済学の土台を揺るがすようなものではないが、人間の行動にフォーカスするような問題において、例えば、マーケッティングにおける宣伝広告活動、投資における投資家の行動等を究明する場合、経済学の無力さが感じられることもある。
1-2 行動経済学: ヒューマンの限定合理性
行動経済学は、エコノミカスの設定の不足点を補うために、1970年代以降、心理学や認知科学の知見を経済学に組み込んで発展させたものである。特にダニエル・カーネマンとエイモス・トベルスキーによる研究は、行動経済学のマイルストーンである。
行動経済学は、意思決定における情報の不完全性や人間の理能力の制約を前提にしている。このように考えた人間のモデルは、ヒューマン(human)という。エコノミカスの設定に対して、ヒューマンは、
1)個人は常に自分が感じる価値を最大化しようとする。
2)すべての選択肢に関する完全な情報を持っているとは限らない
3)情報を正確に処理・判断する能力必ずしも十分ではない。
という設定である。そのため、エコノミカスのように常に正解が分かるのではなくい、ヒューマンは意思決定において、正解、最適解ではなく、不足な情報や限られた能力から、近似解にしか辿り付かない。このことを、限定合理性(Bounded Rationality)という。ヒューマンは、正解、最適解ではなく、手ごろの「満足できる近似解(satisficing)」を選ぶのである。
正解ではなく、近似解を得る方法は、ヒューリスティック(Heuristics、近似法)という。より一般的に言うと、ヒューリスティックとは、複雑な問題を簡単に解くための「直感的ルール」や「経験則」である。代表的なヒューリスティックには以下のようなものがあります。
ヒューリスティック
満足できる近似解にたどり着く方法は、ヒューリスティック(Heuristics、近似法)という。日常的に例えると、ヒューリスティックとは、複雑な問題を近似的に解決するための「直感的なルール」や「経験則」である。代表的なヒューリスティックには以下のようなものがあります。
1)節約ヒューリスティック
複数の方法がある中、最も簡便、手間がかからない方法を選ぶ。
2)代表性ヒューリスティック
対象問題はの典型的な特徴だけに注目して評価する。
3)利用可能性ヒューリスティック
対象問題は理解しやすい側面や思い出しやすい側面に注目して評価する。
4)アンカリングヒューリスティック
先行情報の数字や結論(アンカー)に引きずられて判断する。
認知バイアス(Cognitive Biases)
ヒューリスティックは効率的な意思決定に役立つ一方で、認知バイアスを引きす。バイアスは誤差を意味し、認知バイアスとは、対象の問題を正確にとらえない、解決できないことを意味する。多くの種類のバイアスはあるが、例えば、以下のようなものがある。
・現状維持バイアス(Status Quo Bias)
変化を避けて現状を維持しようとする傾向。
・確証バイアス(Confirmation Bias)
自分の正確性を裏付ける情報ばかりを集め、反証となる情報を無視する傾向。
・選択のパラドックス(Paradox of Choice)
選択肢が増えることで、かえって満足度が低下する現象。
プロスペクト理論
伝統的経済学の期待効用理論に代わるものとして、カーネマンとトベルスキーはプロスペクト理論(Prospect Theory, 1979)を発表した。不確実性の元に人間の意思決定行動について、期待効用理論は確率と効用関数で決まるとしたが、プロスペクト理論は、価値関数(主観的価値)と確率関数(主観的確率)に基づいて行われると新たな枠組みを提示した。
価値関数は効用関数と類似しているが、次の2つの修正を加えた。
・損失回避(Loss Aversion)
同じ金額の利益と損失に対して、損失のほうを心理的に大きく感じる。価値関数は利益と損失を異なる関数で表す。
・参照点依存(Reference Dependence)
感じる価値や損失はその絶対値ではなく、比較対象(参照点)からの乖離に依存する。
プロスペクト理論は、従来の効用理論では説明できなかった人間の多くの行動が説明できるといわれる。2002年には、カーネマンがプロスペクト理論の研究成果でノーベル経済学賞を受賞し、行動経済学が広く認められるようになった。
©明治大学データアナリティックス研究所
② 行動ファイナンス
2-1 行動ファイナンス
行動ファイナンスは行動経済学の一分野である。従来のファイナンス理論が前提としてきた「合理的投資家」の仮定をベースとせず、実際の投資家行動に基づいて金融市場を理解しようとするものである。
伝統的ファイナンス理論では、投資家は皆同等に賢く、常に最適な意思決定を行う「合理的投資家」としてモデルを構築する。その結果、例えば、投資家は最適な市場ポートフォリオを理解しそれを持ち、金融市場は効率的に情報を価格に反映し、新しい情報は瞬時に情報に反映される。前者はCAPMモデルやポートフォリオ理論であり、後者は効率的市場仮説(Efficient Market Hypothesis: EMH)である。
投資家は皆同じ最適市場ポートフォリオをもつなら、株式市場の毎日の大量の取引は説明できない。株価変動の根源である企業収益の変動に比べ、株価の変動が大きい過ぎることから、投資家の評価や感情の変動による影響が存在すると思われる。現実の金融市場では、バブルや暴落などの大幅な価格変動、投資家の過剰反応、長期的トレンドの存在、投資家の群衆行動などは観測される。これらの現象に対して、伝統的ファイナンス理論は無力であるが、投資家の心理などを取り入れて考察する行動ファイナンスには説明する力がある。
行動経済学の展開と同じであるが、行動ファイナンスにおいて、投資家も限定合理性より、投資家は最適解ではなく、近似解しか辿り付かない。近似解を得る方法も、ヒューリスティックである。実際、金融市場には多くのヒューリスティックは存在する。例えば、株価について、PERモデルやPBRモデルは使われるが、これは典型的なヒューリスティックである。
行動ファイナンスは、投資家が陥りやすい非合理的な意思決定パターンに注目して展開することが多い。例えば、以下のアプローチがある。
メンタル・アカウンティング(Mental Accounting)
投資家はお金を用途や出所によって心理的に分けて管理する傾向がある。伝統的ファイナンスの金に色がないという考えと異なる。例えば、宝くじで得たお金は「遊び金」としてリスクの高い投資に使いやすいが、給与収入は慎重に使う
過信バイアス(Overconfidence Bias)
投資家は自分の知識や分析能力を過大評価する傾向がある。自信過剰を測る一つのメジャーは(株式等の)取引回数である。自信過剰の場合、取引回数が適切な回数より増え、その結果、投資のリターンは低下する(Barber & Odeanの研究)。
アンカリング(Anchoring)
投資家の価格評価や判断が、無関係な指標(アンカー)に影響される現象。例えば、ある銘柄が「かつて5000円だった」ことが、いまの価格評価に影響を及ぼす。
損失回避と保有効果(Disposition Effect)
含み損のある株を売りたがらないが、含み益のある株を早く売る傾向が強い。その結果、非効率なポートフォリオとなる
モメンタム効果(Momentum)
値上がりした株は、しばらくの間その傾向を維持する。伝統的な理論では説明困難であるが、投資家の情報処理の時間モデルや群衆行動モデルを利用すれば、説明できる。
リターンの逆転(Mean Reversion)
短期的に下落した株が、中長期的には平均に戻る傾向がある。これも投資家の情報処理における心理的過剰反応によって説明できる。
カレンダー効果(January Effect、Monday Effectなど)
特定の月や曜日に株価が上昇・下落しやすい傾向。
行動ファイナンスの応用として、投資家のバイアスを逆手に取る戦略(例:モメンタム投資、逆張り戦略)や行動ファイナンスを活かしたポートフォリオ設計などが考えられる。また、金融教育やアドバイスにおいて、初心者が犯しやすい認知バイアスを理解し、説明責任やサポートに活用し、ナッジを使って長期投資を促す(例:自動積立制度、目標ベースの投資)ことが考えられる。フィンテックを利用して、個人資産管理アプリやサービスにおいて、心理的バイアスを補うアシストを提供(リマインダー、自動再バランス等)する等は考えられる。
行動ファイナンスの限界と課題として、行動モデルは説明的にとどまり、定量化や予測が難しい側面がある。また、多くのバイアスが相互に作用し、その分解が難しいことが多い。しかし、行動ファイナンスは、伝統的な金融理論では説明しきれなかった投資家の感情やバイアス、そしてその市場への影響を明らかにし、市場が完全に効率的でなく、投資家が完全に合理的でもないとすれば、機会とリスクが生まれる。行動ファイナンスは、その「非合理性のパターン」を理解し、リスク管理や意思決定に生かすための有用なツールである。
③ 2つのシステム
3-1 デュアルプロセス理論
近年のパソコンのCPUには複数のコアが搭載され、さらにGPUも組み込まれるなど、処理内容に応じて異なるプロセッサを使い分ける構造になっている。類似的に、人間の意思決定にも、異なる2つの処理システムが存在するとするのが「デュアルプロセス理論(Dual Process Theory)」である。
この理論は、Stanovich & Westらによって提唱されたもので、人間の思考や判断は、性質の異なる2つのシステムによって制御されていると考える。2つのシステムは「システム1」と「システム2」と呼ばれる。
システム1:直感的・自動的な思考
システム1は「直感システム」とも呼ばれ、以下のような特徴を持つ。
• 処理が速く、自動的に起動する
• 意識的な努力を必要としない
• 感情や経験則に基づく
• 認知負荷が軽く、即応性が高い
• バイアスや直感的ミスを含む
システム1は、人間が素早く、効率的に反応するために進化してきたものであり、たとえば人の表情から感情を読み取る、広告に反応する、株価の上下に即座に反応するといった判断時に用いられる。
システム2:論理的・熟慮的な思考
システム2は「論理システム」と呼ばれ、以下のような特徴がある。
• 処理は遅く、意識的に起動される
• 論理的・分析的・推論的処理が可能
• 負荷が重く、疲労しやすい
• 継続的集中力と動機づけが必要
システム2は、たとえば金利計算や投資案件の収益分析、長期的な財務計画等、時間をかけて考えるべき判断に用いられる。
3-2 システムⅠとヒューリスティクス
一般に、人間はシステム1を優先的に使い、それで対応できない複雑な問題に直面したときに、システム2を起動して対応する。システム1は、速くて楽である一方で、直感に依存しておりバイアスに影響されやすいという弱点があるが、日常的な判断の大半は実はシステム1で行われると考えられる。人間の意思決定の多くが無意識的・直感的である。
行動経済学および行動ファイナンスでは、システム1の非合理的やバイアス(癖)は重要な研究対象となっている。
システム1でよく使われる意思決定の方法に、ヒューリスティクス(heuristics)がある。これは、完全な論理的検討を行わずに、直感や経験則に基づいて迅速に判断する方法である。ヒューリスティクスは以下のような特徴を持つ。
• 正解が保証されているわけではないが、現実的な近似解を素早く導く
• 認知コストが低く、判断に要する時間が短い
• バイアス(正解からの乖離)を引き起こす可能性がある
システム1への注目
松竹梅法則等のフレーミング、現状維持バイアス、損失回避傾向などは、システム1に利用される近似法である。金融行動において、長期的な資産形成やライフプラン設計などはシステム2による熟慮的判断であるが、市場変動に即応して売買する短期投資行動は、大抵システム1による判断になる。通常の経済活動において、システム1を多くの仕事をなしている。
ビジネスなどにおいて、人間のシステム1をうまく利用し、働きかけることも重要である。例えば、「今だけ半額!」「限定セール!」などのフレーズは、システム1への訴求や刺激である。また、年金の自動加入プログラムは、ナッジを利用した設計で、システム1の特性を理解した上での工夫である。
システム1とシステム2という2つの思考システムは、人間の意思決定を理解する上で重要な枠組みである。日常生活から投資判断まで、人間はこの2つのシステムを切り替えながら行動している。行動経済学・行動ファイナンスは、この「思考の二重構造」に注目し、なぜ人間は非合理的な選択をしてしまうのか、そしてそれをどう補うべきかという問いに対する答えを提供する。
④ 慣性の法則
4-1 慣性の法則
節約の原理
人間の能力には限界があるため、あらゆる問題に対して多くのエネルギーを割くことは不可能である。そこで、特にシステム1においては、負担の小さい方法を選ぶ傾向がある。ここで、これを「節約の原理(law of least effort)」と呼ぶ。多くのヒューリスティック(近似的な判断法)は、この節約の原理に基づいている。
慣性の法則
「強いインセンティブがない限り、人間は現状を維持する」
「何もしない」という選択は、最もエネルギーを節約する行動である。そのため、人間はしばしば何も変えない、現状維持しようとする。この傾向は、力学のニュートンの第一法則(外力が働かない限り物体の運動状態は変わらない)になぞって、ここで「慣性の法則」と呼ぶ。
「住めば都」というのは、慣性の法則の一事例である。どのような場所でも、住み慣れることで居心地がよくなり、引っ越しを避ける傾向が生まれる。特に、選択肢間には大差がない場合、すでに慣れている方を選ぶことが、結果的に“正解に近い”という近似的合理性に基づいている。
この慣性は、単なる怠惰や無思考によるものもあれば、システム1にとってある程度の合理性が要求されることもある。住み慣れた場所に住み続けることは、惰性や無思考の結果より、ここが快適である、変える理由が見当たらない、といった意味づけに基づく選択結果であった方がシステム1にとって快感が伴う。現状維持の背後には、一定の論理性と心理的メカニズムが存在している。
現状維持の背後にどういうメカニズムがあるのか。少なくとも以下の3つがある。
1. 単純な節約(Status Quo Bias)
2. 愛着効果(Endowment Effect)
3. ぞっこん効果(Attachment)
単純な節約は、エネルギーや時間の節約を目的とした「最小努力の原理」によって生じる慣性である。たとえば、「引っ越しが面倒」「外出が億劫」「考えるのが大変」といった理由から、最も負担の少ない「現状維持」が選ばれる。「ナマケモノ効果」と呼んでもよいかと思う。それにくらべ、愛着効果、ぞっこん効果は人間の心理と関係する。
4-2 愛着効果(Endowment Bias)
システム1にとって、単に「何もしない」という選択は、時に物足りなく感じる。多くの意思決定には、それなりの理由づけが必要とされる。「ナマケモノ効果」は、ある意味で節約原理に基づく判断であるが、それ以外に、心理メカニズムとして「愛着効果」がある。
愛着効果
愛着効果は、自分に関係の深いモノや人に対して過大な価値を感じてしまう心理的傾向である。すなわち、同じモノでも、自分に帰属し、関係性を持つものの方が、より高い価値を感じる。
たとえば、「うちのペットが一番愛らしい」「自分の車が一番かっこいい」といった感情は、この愛着から生まれている。
事例1:ワイン収蔵家の選択
貴方がワイン収集家であるとする。5ドルで購入したワインが200ドルに値上がりしたとき、どう行動するかを学生に尋ねた。選択肢は以下の3つである。
• A:そのワインを売却し、安価な別のワインに投資する
• B:そのまま保有する
• C:200ドルで同じワインを買い増す
愛着効果は、多くの人は Bを選ぶと予想する。なぜなら、自分のワインに対して愛着があるから、200ドル以上の価値を感じている(実際の価値+愛着による心理的価値)。そのため、Aの売却はしない。またCの買い増しも「流通しているワインは、自分のものほど価値がない」と感じて選ばれない。
また、「どれが正しい選択か分からないので現状を維持する」という判断もあり、これもBの選択を予想する。これは節約の原理(最小努力)に基づく選択である。すなわち、Bを選ぶ選択の裏には、愛着効果と節約の原理がある。このように、システム1の選択には、複数のヒューリスティックスがあることは、結構多い。
事例2:遺産の再投資問題
被験者に対し、次のような仮定を提示して投資行動を尋ねる実験がある。
「あなたは2億円の遺産を相続しました。そのうちX億円が国債に、残り(2−X億円)が株式に投資されている。さて、あなたはこの2億円をどのように再投資するか?」
ここで、Xの値は被験者ごとにランダムに設定される。これで、期初ポートフォリオにおける国債投資の割合(Xの値)が、その後の投資判断にどれほど影響するかを測定することができる。
合理的に考えれば、国債・優良株・成長株などへの分散投資が最適解となるはずである。しかし、再投資の内容は、期初の構成(X)に影響されている傾向があることは分かった。すなわち、Xが大きければ、国債重視になり、Xが小さければ、株式投資を維持する、という結果である。
この結果は、先代が築いた資産への愛着によって説明される。また、最小努力で現状を軸にものごとを考える調整する傾向があるとも解釈できる。愛着効果と単純節約は背後にある。
愛着バイアスは、自分の所有物の価値を過大評価する傾向、ものを取得する時に感じる価値と、手放す際に感じる価値に違いがある。同じモノでも「自分のもの」として手元にあると手放しがたくなる。このような愛着効果は、投資、消費、選択のさまざまな場面で現れ、人間の非合理的側面の一つとして注目されている。
4-3 ぞっこん効果(Attachment Bias)
ぞっこん効果は、人がある対象(人・モノ・ブランド・会社など)に強い愛着や好意を持ったとき、その対象のすべてが魅力的に見えてしまう心理的傾向を指す。
たとえば、「あばたもえくぼ」はまさにこのぞっこん効果の一例である。ちなみに中国語にも「情人眼里出西施」、恋する相手を美人の西施に見える、という類似の表現がある。
例えば、家電製品について、「エアコンはダイキン」「冷蔵庫は日立」「テレビはソニー」など、ブランドごとに選ぶ人が多い。ブランドにはそれぞれの強みがあり、複数のブランドを比較しながら購入することは合理的であろう。しかし、ブランド選びを面倒だと感じる人にとっては、ぞっこん効果が選択の単純化をもたらす。
事例3 アップルファン
アップルファンの中には、iPhoneをきっかけに、パソコンをMac、時計をアップルウォッチ、タブレットをiPad、家のテレビはApple TVに、とアップル一色に揃う人が少なくない。当然、アップルで統一するには、性能や操作性上の合理的理由もあるが、アップルが好きだから揃いたい、というつよい心理的情緒は確かにある。さらに、アップルの製品だけでなく、アップルの株にも投資したり、全資産をアップル株につぎ込む人もいる。
アップルに限らず、「家電は日立」「パナソニックが一番使いやすい」といったブランド忠誠心もぞっこん効果の表れである。当人はそれをあまり意識していないが、「丈夫だから」「使いやすい」「格好いい」といった理由の裏にはぞっこん効果が存在する。
また、アイドルの全公演に足を運ぶファン、好きなシェフのすべての料理を「おいしい」と感じる顧客なども、典型的なぞっこん効果の事例といえる。ぞっこん効果によって、難しい判断は単純化されるが、冷静的思考が必要な場合に、ぞっこん効果は問題を起こす。
事例4 P&G退職者の投資
あるP&G社員は、同社の部長を経て、退職金2億円を受け取って、退職した。退職金を運用し、投資を検討していた。こういう場合、通常債券や複数の株式への分散投資が合理的で、コンサルタントもそれを強く推奨した。
しかしこの人は以下の理由から、資産全額をP&G株に投資すると決断をした。
• P&Gがとても好き
• P&Gに感謝している
• P&Gの将来を信じている
• P&Gを引き続き応援したい
資産を全部P&G株に投資することは、いわば「すべての卵を一つのかごに入れる」行為で、リスクの高い行動である。しかし、深い感情的つながりに基づいたこの行動は、本人から見れば、理に適ったものである。これはぞっこん効果の代表的問題である。その後、P&G株が下落し、大きな損失を被った。
ぞっこん効果は、心理的な好き嫌いを活用することで、意思決定を単純化する。自分の好き嫌いに従うことで、比較検討や判断の負担が軽くなる。しかし、投資においてぞっこん効果は大敵である。P&G退職者の事例はそれを語っている。当然、ぞっこん効果で成功する人もいる。たとえば、コカ・コーラ株で成功して、ほぼ全資産をコカ・コーラ株に注ぎこんで、大成功した投資家もいる。ただ、これらは個別な成功例であると考えるべきである。一般的に、冷静な思考を破壊するぞっこん効果は、リスク管理や分散投資の重要原則に反する。
逆ぞっこん効果
逆ぞっこん効果は、人がある対象にネガティブの感情を持ったとき、その対象のすべてがネガティブに感じることを意味する。
逆ぞっこん効果は金融市場でもよく見られる。例えば、企業の不祥事で株価が過度に売られる。また、信用格付が低下することで、債券価格は大きく下落する。特に、機関投資家は、何でよくない会社に投資するのか、という説明責任が強く求められるため、この逆ぞっこん効果の行動をとる傾向がある。このような場面において、説明責任がなく、実利に基いで行動する個人投資家にとっては、良いチャンスになろう。
整理すると、ぞっこん効果は、人間の意思決定を左右する強力な心理バイアスである。特定の対象への強い愛着が、判断を単純化させる一方で、合理的判断を曇らせるリスクはある。特に金融投資において、感情を排し、冷静に分析することが不可欠である。
⑥ 利用可能性
6-1 利用可能性ヒューリスティクス
判断対象には多くの属性(特徴)が存在する。システム2はそれらを総合的に評価するできるであろうが、システム1はすべての属性の情報を検討するのではなく、一部の属性だけ重視し、近似的に問題を処理しようとする。その際、どの属性を重視して選ぶ方法として、「代表性」以外に「利用可能性」がある。
代表性ヒューリスティクスは、問題の「本質」や「典型性」を代表すると思われるような属性に注目する。それに対して、利用可能性ヒューリスティクスは、「重要かどうか」よりも、「想起容易性」、「検索容易性」、「親しみやすさ」など、認知のしやすさに注目する。
利用可能性ヒューリスティクス(availability heuristic)は、認知しやすい情報、入手しやすい情報、思い出しやすい情報に基づいて意思決定を行う傾向のことを指す。
システム1が判断する場合、現在直面している問題と過去の経験とのマッチングが行われる必要がある。この時、認知が容易な経験ほど早く検索され、マッチングされる。
対象問題→ 経験の検索→ 利用可能性によるマッチング
検索のプロセスにおいて、「検索しやすい」「わかりやすい」「馴染みがある」といったような属性が重視される。例えば、夜道でコンタクトレンズを落とした人が、街灯の下だけで探すという行動は、この利用可能性ヒューリスティックの一例である。照らされる場所は、見える場所、情報が入手しやすい場所で、そこを探すことは、利用可能性に基づいた行動である。
6-2 利用可能性の内容
以下の要因は利用可能性の向上に貢献する。
1.認知容易性
1.想起容易性
2.検索容易性
3.親近感・具体性
想起容易性は記憶しやすさ、思い出しやすさである。人に強く印象を与える出来事や頻繁に接した情報、例えば、広告、著名人、ニュースなどはこの想起容易性を有す。検索容易性は、探しやすさやアクセスしやすさである。例えば、日常的に使われる知識、よく使う選択肢などはこの検索容易性を持つ。親近感や具体性は、身近な人からの情報、いつも見ているHP、SNS、物語性を伴う感想、ブログ、ECサイトのの口コミやレビュー等はこの親近性を有す。
整理すると、認知容易性に与える要素として以下のものが考えられる。
•繰り返しの経験・広告露出
•視覚・聴覚的な刺激(画像、フォント、音楽など)
•感情的な心地よさ(信頼感・親しみ・快感・安心感)
•先行刺激(プライミング効果)
最後の先行刺激は、直前に受けた刺激、情報である。直前に受けた情報な、また短期記憶にあるので、検索はしやすい。
6-3 利用可能性の応用
事例3 投資信託の名称
例えば、以下の投資信託は例え中身は同じでも、名称によって印象が大分変る変わる。
名称 認知印象
せかいぶんさん やさしい・親しみ
グローバル・バランス 高度・専門的
にほんふっこう 応援したくなる
日本再興 力強い・国家的
カタカナ vs 漢字、音の響き、意味の連想などが影響を及ぼす。
投資信託の名称は、しばしばその中身とは無関係に、人々の判断に影響を与える。これはプライミング効果の一種であり、認知容易性の応用である。
■ その他の事例:認知容易性による信頼感の構築
• 丸の内に本店がある → 立派・安心
• 銀座に店がある → 高級・信頼
• 高級時計を着用した営業マン → 実力・成功の象徴
• 高収入のエンジニア → 能力・信頼性の象徴
視覚情報や社会的文脈を通じて、非言語的な利用可能性は形成されるのである。
⑦ 心の会計
会計システムと「アカウント」
会社が会計システムを使う。会計システムは、支出を分類し、用途を管理し、その効果(売上等)を確認・監視する。会計システムにおいて、支出と効果を明確に管理するために「アカウント(勘定)」というまとまり処理を行う。例えば、部門ごとの支出費用と収入(売上等)をまとめて管理する。支出は売り上げを伸ばすものであれば、基本的に認め、売上増加に貢献しない支出を厳しく管理される。また、システムの中、部門間の関係は基本的に考慮しない。この仕組みは、
•各アカウント内では収入と支出の合計相殺が可能
•異なるアカウント間の収支は合計、相殺できない
という簡単なマッチングルールで、会社の支出・効果管理を単純化して管理する。逆に、このようなアカウントを利用しなければ、支出と収入のマッチングが困難になり、部分管理も全体管理も不可能になる。
メンタル・アカウンティング(心の会計)
人間にも会計システムに類似した管理の仕組みがある。人間の行動、努力・支出、成果・収入を分類して記憶・処理する「メンタル・アカウンティングシステム」が存在するとされる。会計システムと類似して、それぞれの費用と結果は、心の中のキャビネットのようなアカウントに格納される。各キャビネット内での費用対効果に関する判断をして意思決定を行う。費用と効果の合計や相殺はキャビネットの中で行われるが、キャビネット間の合計や相殺はしない。
田中夫妻の別荘
田中夫妻は夢の別荘のためにすでに1,500万円を貯めた。資金は債券の投資信託で3%の利回りを得ている。彼らは今後、より貯金をし、5年後に別荘を建てる予定。一方、夫妻は最近新車を購入した。購入資金200万円は銀行から3年の自動車ローンを借り、金利は5%である。
人々は貯金をする一方、同時にそれより高い利率で借金をすることは、日常によく観測される。一見大変不合理に見えるが、メンタル・アカウンティングによって説明される。
本来、お金にはラベルはないが、メンタル・アカウンティングシステムにおいて、家の資金、車の資金、貯金の資金、遊びや旅行の資金と分類され、ラベルが付けられる。メンタル・アカウンティングシステムの中で、いったんラベルを付けてしまうと、他の用途に資金の流用は難しくなる。
田中さんたちのメンタル・アカウンティングシステムには、おそらく別荘、車、日常生活費、海外旅行などのアカウントがある。別荘アカウントの中の資金は、別荘関連の支出にしか使えず、車のアカウントに流用することは難しい。全体的に、利率の不利益があっても、心理的には異なるアカウントで管理されるため、資金の最適化よりも用途のマッチングが重視される。利率における不合理があるが、アカウント間の流用を簡単に認めると、厳密な資金管理ができなくなってしまう。
メンタル・アカウンティングのルール1
1. 各アカウント内では、費用と得られる満足感(効果)の合計と相殺が行われる
2. 異なるアカウント間の合計や相殺が行われない
単純で素朴な仕組みであるが、計算が簡単で、無駄使いを防ぎ、消費をコントロールする上の有効な仕組みである。
期間のマッチング
Q1. 半年後に引っ越しの予定があり、その際に新しく自動洗濯機を購入する必要がある。現在、近くの電気店で洗濯機が12万円でセール中、支払い方法は次の2つの選択肢がある。
A. 納品前に月2万円ずつ6カ月分割払い
B. 納品後に月2万円ずつ6カ月分割払い
支払金額の合計は同じであるが、多くの人は後払いを選ぶ。もちろん、後払いの金利上のメリットがあることも一因であるが、洗濯機を使い始めるのは6か月後、支払いの期間も合わせた方が効果と費用のマッチングがうまくいき、支払いに対する心理的負担感が軽く感じる。
Q2. 半年後に予定している沖縄旅行(費用12万円)の支払い方法として、以下の2つがある。
A. 出発前に月2万円ずつ6カ月分割払い
B. 出発後に月2万円ずつ6カ月分割払い
洗濯機の問題と似ているが、多くの人がBの前払いを選ぶ。旅行の期間は1週間程度であるため、支払い期間のマッチングは難しい。前払いを選ぶ原因として、人々は、後で払うより、先払った方が旅行がより楽しいと考えている。
なぜ、後払いは休暇の楽しみを低減するのか。これは、後払いは心理的負債を生み出すからである。
心理的負債の回避
メンタル・アカウンティングシステムにおける機関のマッチングにおいて、努力や支払いの期間と成果や受け取りの期間が一致することが望ましいが、成果や受け取りを先に手にし、その対価が支払い終わるまでに人は心理的負債を感じる。心理的負債とは、成果などを先に受け取り、対価の支払いは後になるときに感じるものである。
Q3.予定している残業(6か月間続く)がある。残業手当を以下の2つの受け取り方がある。
A)前払い: 残業を始める前にまとめてもらう。
B)後払い: 残業が全部終わったあとにまとめてもらう。
伝統的理論では、前払いの方が金利メリットあり、前払いを選ぶはずであるが、多くの人は後払いを選ぶ。先に残業手当をもらうと心理的負債が発生するからである。
旅行問題と残業手当問題の共通点は、心理的負債の回避である。期間の選択をする時、人は効果と支出の期間的マッチングに努めるが、それが不可能の場合、人は時間軸上に心理的負債を回避する傾向がある。
すなわち、支払い手段を選択するとき、金利メリットだけではなく、メンタル・アカウントにおけるベネフィットの継続期間と支払キャッシュフローのマッチング具合も重要である。家、車、洗濯機、テレビ等ベネフィット期間が長い商品に対して、人々は長期間のローンを気楽に選択するが、ベネフィット期間が長くない商品に対して、長期間のローンを選ばない。
メンタル・アカウンティングのルール
1) 内容のマッチング
2) 期間のマッチング
3) 心理的負債の回避
⑧ 心の会計の応用
心の会計は、ビジネスの分野に広く利用される。
アカウント分けの事例
洋服のバーゲンやセールの時、よく見かけるのは、50%DISCOUNTとBUY ONE GET ONEの宣伝である。受け取る洋服と支払いは同じであるが、2つの形式において、心の会計が異なる可能性がある。
A) 50% DISCOUNTの場合
一万円のジャケットを買うとする。50%割引なら、一万円で二着を買う。衣替えというアカウントにおいて、支出と効果が次のように処理される。
満足感(2着)← 衣替え →1万円
B) BUY ONE GET ONEの場合
一万円のジャケットを買うと、もう一着をただでゲットできる。メンタル・アカウンティングシステム上に次のようにアカウントが2つが作られる可能性がある。
弱い満足感(1着)← 衣替え →1万円
強い満足感(1着)← GET ONE →タダ
この場合、感じる満足感は2つのアカウントの満足感の合計になる。
冷静で合理的な人なら、AとBの満足感が同じであるが、一方、BのGET ONEアカウントの状態を非常に気持ちよく感じ、Bの合計の満足感をAの時より高く感じる人も少なくない。
実際、人間は自分の行動への満足感を高めようとする内在的インセンティブが存在する。満足感を高める受け入れられる解釈があれば、それを受け入れる傾向がある。すなわち、Bの解釈に対して満足感が高い人は、2つのアカウントを作って、買い物を評価することになる。
アカウントまとめの事例
新しい家具や新しい家電への買い替えは、通常別々のアカウントによって管理される。現状維持や愛着効果等によって、買い替えなどは通常抑制されている。
家を新築する時、家具も家電も一新する、とすることは多い。これは、家具の買い替えも家電の買い替えも全部新築費用というアカウントにまとめることになる。新築費用のアカウントにおいて、大きな支出はもうすでに意思決定されているため、まとめることによって、家具・家電の買い替えの費用は、あまり感じないで楽に決めることができる。
この2つの事例から、次の重要な示唆が得られる。
1)詳細なアカウントほど、精緻な管理がしやすい。
2)アカウントが大きくなると、人間の感じ方が鈍くなり、精緻管理が難しい
メンタルアカウントとキャッシュレス決済
キャッシュレス決済の利用において、多くの人がその利便性以上の快感を感じる。払っている価値は変わらないのに、なぜ、快感を感じるのか。これもメンタルアカウンティングの視点から解釈できる。
現金払いの時代、購入した商品から得られる満足感に対して、財布から現金を出すという苦痛が同じ「買い物」アカウントの中で“会計”される。この財布から現金が出ていくことに人は通常”苦痛”を感じる。この苦痛は、節約の動機になり、消費を抑える要因にもなる。クレジットカードになると、現金払いの苦痛がなくなるが、財布から出すという苦痛が引き続き残り、サインという新しい負担も発生する。
電子マネーは財布に入っていない上、サインも不要、支払いに伴う苦痛の感覚が少ない。その結果、「買い物」というアカウントから得られる快感が大きくなる。これは、利用性異常の快感の源泉であろう。
キャッシュレス決済には、QRコード決済よりタッチ決済がある。上記の議論から、タッチ決済の方が伴う動作が単純で少ないので、感じる心理的痛みも小さい。店側の機器や設備の都合はあるが、メンタルアカウントの意味から、QRコード決済よりタッチ決済の方が消費者の快感を高めることができる。
支払いの“行動“そのものに苦痛を伴うのであれば、その”行動“を意識させないで支払う、あるいは”行動“を感知させないで支払うことが考えられる。定期購読等のサブスクリプションは、支払いが少額である上、毎月の支払行動をある意味でステルス化し、支払いの苦痛を感じさせない1つ手法である。
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